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社長メッセージ

先達の知恵の継承、
若者のエネルギーを育む土俵の獲得で
より良い社会づくりに貢献します。
代表取締役 稲田紀男

当社の原点――創業の精神について

「金なし、コネなし、高学歴なし」。それでも「ペシャンコにされてもへこたれへんぞ」と学歴、経歴、国籍、性別からくる権威主義を否定して、若者のバイタリティと情熱を信じてスタートしました。22歳の頃、京都・真如堂での決意です。

「誰からもどこからも干渉されない、誰にもどこにも依存しない、そんな出版社をつくる」──新しい経験と苦しみに立ち向かう情熱(自立と自律の精神)がビジネスに没入させました。そこから無限の可能性がひらめいてくると。

多くの欠陥や過ちに気付きました。それでも懲りずに人としての理想主義や一途さこそが大切だと思い続けています。だから、ひたむきに努力したいと考えています。

注)既刊書籍:環境、人権、アート、ノンフィクションを中心に530点。(2020年11月現在)

稲田紀男 ブレーンセンター代表取締役

企業コミュニケーションをトータルに支援する企画制作会社として

1975年、ブレーンセンターは産声を上げました。私と清水信夫(現「マイ奈良」編集長)の2人だけの出版社でした。何もないところから歩き始め、自立して生きていく道を選び、延々とものづくり(編集屋)を続けてきました。リトルマガジンに始まり、書籍、映画、CSRレポート、アニュアルレポート…。

わからないことばかり、知らないことばかりでした。あるのは「無知の自覚」だけでした。 山に挑む時、自分の体力以上に急がされたように登ったりはしません。命令されたり、睨まれたりしながら、いやいや登ったりしません。一歩一歩と思い、自分自身でないような虚ろな気持ちで登ったりはしないのです。山道であることを心得て、自分自身の体力に応じて一歩一歩踏みしめながら登っていく。その一歩一歩に充実感を覚えながら登っていきます。

しかし、当然ながら志だけでは事業は継続できません。そこで、出版社としての実績をつくる一方で、編集ノウハウを活かした受注生産型の企業広報物の受託事業も開始しました。関西企業の会社案内冊子や海外向けカタログ、さらに映像などの企画制作で実績をつくり、1983年からは当社初となる新卒大学生を採用し、新卒採用PR支援事業で業容を拡大。1992年には現本社ビル「風の万華鏡別ウインドウで開きます」を建設しました。

ところが、ちょうどバブル経済が崩壊し、PR業界のみならず日本全体が不況期を迎えました。当社もまた非常に苦しい時期に直面します。「志を持つこと、メシを食うことの両立を、困難ななかでもやりたい」という初心を強く思い出させてくれました。そしてヒューマニズムとは義理と人情だということも。クヨクヨするのが一番つまらない。コツコツして、何はなくても、健康と元気さえもらえれば十分ありがたい、そんな心境です。

そして、この困難な時期にあってもさまざまな新しいことに挑戦し、それらはいずれも今につながる当社の事業基盤となっています。例えば、直接金融の本格化や店頭公開(現ジャスダック)市場の開設などを新たな事業機会と捉え、優れた技術やノウハウを持つ中堅企業様の上場支援を含む「IR(投資家向け広報)」支援事業に進出。1990年代後半には「環境・CSR支援事業」に進出しました。こうした動きとともに、1995年にはWeb・映像事業を強化すべく「マルチメディア対応」を掲げました。これら積極的な事業展開は若い社員たちが背水の陣からチャンスをつかもうと自主的に、かつ貪欲に市場を切り拓いていった成果です。「自立と自律」を企業文化の中核とする当社は、当初からクライアントとの直接取引にこだわってきましたが、そんな独立心旺盛な社風が時代の荒波によって鍛えられたのだと思います。

2000年代からは、日本企業のグローバル化を見据えて、「企業コミュニケーションのグローバル化」の研究を本格化。こうしたさまざまな企業コミュニケーションのノウハウをトータルに提供できる数少ない企画制作会社として成長し、2011年には40%の株を持つ社員持株会を発足させ、独立系の維持、社員中心の組織運営もさらに強化してきました。

「風の万華鏡」の前の道は、その昔、大塩平八郎(中斎)が蜂起し駆け抜けていった道と聞きます。バランスを考えながら真っ当なことをしたいという思いで「異議あり」と烽火をあげて天神橋のたもとで鎮圧されるまで1,000メートルの道のりだといいます。義理と人情と心意気の人、大塩の残した言葉「若疑シク覚候ハバ、我等ノ所業終候処ヲ、爾等眼ヲ開テ看ヨ」に強くひかれます。

注)マイ奈良:古都奈良で発行しているタウン誌。1977年1月号(創刊号)から2020年11月号(終刊号)まで通巻526号。

稲田紀男 ブレーンセンター代表取締役

今後のビジョンについて

半世紀近くにわたり、存続・発展し続けてこられたのは、ひとえにお客様、お取引先各位をはじめとする多くの方の支援の賜物です。この場をお借りして心より御礼を申し上げます。

これからも、当社は確固たる信念のもとで出版事業を継続しながら、現状に甘んずることなく、新しい時代に求められる企業コミュニケーションの可能性を切り拓いていく覚悟です。

多業界にわたる、500社を超えるお客様企業の事業展開を支援させていただくことによって、ひいては日本経済の発展に、そして社会の発展にも寄与できると確信しております。このビジョンを実現するために、私をはじめ全役員、社員の一人ひとりが、ゼロからの挑戦という企業精神を改めて認識したうえで、克己心と謙虚さをもって、これまで以上に研鑽を図ってまいります。当社を支えてくださる多くの方に感謝しながら、次の時代に挑んでいく所存です。今後とも何卒、よろしくお願い申し上げます。

稲田紀男 ブレーンセンター代表取締役
【撮影場所】
本社ビル:ブレーンセンター「風の万華鏡」/上から、4F螺旋階段、1F社長室、1Fエントランス
詳しくは、こちら別ウインドウで開きますをご覧ください。

プロフィール

稲田紀男(いなだ・のりお)

1950年3月生まれ、新潟県出身。
1975年、ブレーンセンター創業。稲田紀男と清水信夫(現「マイ奈良」編集長)の2人だけの出版社のスタート。
1979年、株式会社ブレーンセンター設立。社長・編集長。
他にもシネ・ヌーヴォ別ウインドウで開きます取締役、シネ・ピピア別ウインドウで開きます取締役、大阪国際メディア図書館別ウインドウで開きます(旧宝塚メディア図書館)理事、コミュニティシネマ大阪理事、テレビ大阪放送番組審議会副委員長、朝日21関西スクエア会員。

詳細は沿革をご覧下さい。

その他の情報は、主に以下データベースに収録されております。

現代日本人名録

  • 「whoplus」(日外アソシエーツ)別ウインドウで開きます
  • 「web whoplus」(日外アソシエーツ提供:G-Search別ウインドウで開きます@nifty別ウインドウで開きます
  • 「CD-現代日本人名録2004」(日外アソシエーツ、2004年)
  • 「新訂 現代日本人名録2002」(日外アソシエーツ、2002年)
  • 「現代日本人名録94」(日外アソシエーツ、1994年)

関連情報

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