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ブレーンセンターの「視点」

熊本発、ネイチャーポジティブは「実装」の段階へGNPSが問う、サステナビリティ経営への示唆

1. 熊本で語られた一言

2026年7月14〜15日、熊本市で開かれた第2回グローバル・ネイチャー・ポジティブ・サミット(GNPS2026)には、国内外から約3,000人が参加した。参加者のおよそ3分の2は企業・金融機関の関係者で、経営層クラスが登壇するパネルディスカッションも目立った。主催はNature Positive Initiative(NPI)とIUCN日本委員会。閉幕時には政府機関・NGO・基準策定機関を含む80を超える主体が「熊本宣言」に署名し、その約半数を民間企業が占めた。10月にアルメニア・エレバンで開かれるCOP17(生物多様性条約第17回締約国会議)を前に、会場で繰り返し語られたのは「ネイチャーポジティブはスローガンではなく、測定可能な目標である」という一言だった。

本稿では、GNPSでの議論とこの後のCOP17、そしてTNFDの流れを踏まえ、日本企業のサステナビリティ推進にとっての示唆を整理したい。

2. 日本で生物多様性に関する国際会議が開催された理由と意味

なぜ、この国際会議の開催地に日本・熊本が選ばれたのか。理由の一つは、日本企業のTNFD採用数が235組織(2026年7月時点)と世界最多にのぼる、開示面でのリーダーシップにある。もう一つは、里山に象徴される、自然と人の暮らしを切り離さずに捉えてきた価値観だ。人が手を入れることで維持される二次的な自然という発想は、ネイチャーポジティブが前提とする「人の営みと自然の回復を両立させる」という考え方と親和性が高い。この自然観は、当の日本人にとっても、GNPSという場を通じてあらためて意識される機会になったのではないか。同時に、この自然観を海外の参加者が正しく理解するにはまだ何かが足りないとも感じた。

そして熊本が、自然と産業の共生を体現している地域でもあることも理由の一つではないかと思う。熊本は地下水に恵まれた土地として知られ、市民74万人の水道水を100%地下水でまかなっている。その豊富な水資源は人々の暮らしと、地域経済を支えてきた。自然資本への依存が、抽象論ではなく、半導体工場の立地条件ともなった熊本という地でサミットが開かれた。

閉会時には、サミットの成果として熊本宣言(ネイチャーポジティブな未来に向けた熊本の決意)が採択された。主な趣旨は、ネイチャーポジティブ経済への移行を、コストではなく投資・成長機会として捉え、KMGBFのビジョン実現に向けた具体的な行動を、企業・金融機関を含む社会全体で加速させることにある。Nature Positive Initiativeが提示した「State of Nature Metrics」(自然の状態の指標)は、活動量ではなく、1. 生態系の面積、2. 生態系の状態、3. 種の絶滅リスク、4. 種の個体群という、自然の「状態そのものの変化」を4指標で捉える。気候変動対応と同様、自然も「比較可能な数字」で語ることが前提になりつつある。

3. 企業に期待される役割は何なのか

「ネイチャーポジティブはスローガンではなく、測定可能な目標である」。主催者であるNPI創設者マルコ・ランベルティーニ氏が会期中繰り返したこの言葉を実現するには、一企業の敷地内にとどまらない広がりが要る。流域や生態系のまとまりを単位に対策を設計する「ランドスケープアプローチ」「シースケープアプローチ」、つまり自治体・市民社会・企業が連携した取り組みの重要性が、複数のセッションで共通して語られた視点だった。

この構図の中で企業に期待される役割は小さくない。技術力、資金力、発信力、そしてプロジェクトを実行し切る推進力――GNPSにスポンサーとして名を連ねた企業群は、少なくともこうした期待への自覚を示していた。

ただし、企業のサステナビリティ活動を、開示対応や評価機関対応のためのタスクとして捉えている限り、この期待には応えられない。熊本での議論が示したのは、ネイチャーポジティブへの取り組みが、マテリアリティ・パーパス・ビジョンと地続きの経営課題であり、社会と企業双方のレジリエンスを高める投資だという捉え方だ。

経営理念と長期的な視点に立って初めて、自然との関係は企業にとっての経営戦略となる。そして、共感と価値創造の物語になる。企業一社でネイチャーポジティブを実現することはできない。だからこそ、同じ流域や調達地を共有する企業同士が資金や取り組みを持ち寄る「コレクティブアクション」が、実務的な解になる。しかし、その一歩は、自らが動かなければ始まらない。

4. 日本企業にとっての意味

こうした「期待される役割」を、日本企業はどう引き受けてきたか。これまで日本企業にとって、自然との関係はTNFD対応など、多くの場合「対応・開示」という守りの文脈で語られてきた。世界最多のTNFD採用数は、開示要請への忠実な対応の証ではあっても、それ自体が経営戦略上の武器として語られる場面は少なかった。熊本サミットと、この後10月にアルメニア・エレバンで開かれるCOP17(生物多様性条約第17回締約国会議、10月18〜30日)は、この構図を変えうる二つの材料を提供する。

COP17が示す、「対応」から「レバレッジ」への転換

COP17では、2022年に採択された昆明・モントリオール生物多様性枠組み(GBF)の進捗状況を検証する、初回「グローバルレビュー」が実施される。「企業開示」も対象となり、企業がTNFD等に基づく生物多様性開示をどの程度行っているかを測定する指標だが、その定義・算定方法自体もCOP17での議論の対象となる。日本のTNFD採用規模は、この公式な国際的進捗評価に反映される。指標の定義や算定方法が固まる前から開示実務を重ねてきた企業ほど、確定後の対応コストは小さくて済む。この先行者優位は、投資家など対外的な説明においても、有効な材料になる。つまりそれは、「対応としてのTNFD」から「使いこなすTNFD」への切り替えの節目になり得る。

気候変動との比較|言葉の力と、相互に関係する2つのアジェンダ

カーボンネガティブやカーボンニュートラルといった気候変動対応の言葉は、排出量を「減らす」「相殺する」という引き算の発想に立つ。これに対しネイチャーポジティブは、自然の状態を「良くしていく」という足し算の言葉であり、目指す先の状態に手触り感がある。この違いは企業にとっても意味深い。CEOメッセージや社内外への発信において、実感として伝わるかどうかは、「共感と価値創造の物語」になり得るかを大きく左右する。

また、気候と自然は切り離せる別々のアジェンダではない。森林・土壌・海洋といった生態系は炭素の吸収源であり、気候変動そのものが生態系の劣化を加速させる。今後企業に求められるのは、この相互関係を踏まえたうえで施策を実行し、目標を設定することだろう。

隠された財務価値

自然がもたらす恩恵は、企業にとって現実に存在していながら、これまで財務諸表には現れてこなかった。経済学ではこれを「外部性(エクスターナリティ)」と呼ぶ――市場価格に反映されないがゆえに、コストとしてもベネフィットとしても勘定に乗らない、という意味だ。しかし「外部性」という捉え方のままでは、経営課題にも経営戦略にもつながらない。見えない、勘定に乗らないものは、経営の意思決定の中で見過ごされ、ときに軽視されてしまうからだ。自然資本を言葉だけで語るのではなく、実際に価値として捉え、企業の価値創造に結びつける取り組みこそが、次に求められている。

5. 実務への落とし込みー3つの視点

ここまでの示唆を、実際の開示・報告実務に落とし込むとすればどうなるか。CEOメッセージ・KPI・リスクセクションという3つの視点を、参考までに挙げておきたい。

CEOメッセージ|「コスト」から「投資機会」への言い換え

熊本での議論の基調は、自然への対応を守りのコストではなく攻めの投資機会として語ることだった。CEOメッセージの自然関連の記述が、気候変動への言及に一行添える程度にとどまっているなら、財務言語に翻訳された物語への書き換えが検討に値する。

なぜ「物語」への書き換えが必要なのか。ランベルティーニ氏は『Becoming Nature Positive』の中で、気候心理学者ペル・エスペン・ストークネス氏が示した5つの心理的障壁――距離・破滅・不協和・否認・アイデンティティ――を引用し、「正しい情報を提示するだけでは人は動かない」と指摘している。問題は、データの不足ではなく、読み手(投資家・従業員・顧客)の中にあるこうした心理的な壁だ。定量的な数字と、腹落ちする物語を組み合わせて初めて、その壁を越えられる。

KPI・目標設定|活動量指標からアウトカム指標へ

「植林本数」「保全活動時間」といった活動量(アウトプット)指標は、これまでの統合報告書で自然関連KPIの主流だった。State of Nature Metricsが示す4指標は、いずれも「自然の状態が実際にどう変わったか」というアウトカムを問う。完璧な指標の確定を待たずとも、既存データと地域協働から着手した企業の実例は、KPIの再設計にそのまま応用できる。

リスクセクション|規制リスクから事業継続・調達リスクへ

自然関連リスクは、ともするとTCFD・TNFDの延長で「規制対応」の文脈に閉じ込められがちだ。しかし調達コスト上昇や、土壌・水管理と生産性の関係は、自然関連リスクが調達・生産性・事業継続に直結する経営リスクであることを物語る。

自然関連リスクへの対応は、経営陣・取締役会が負う善管注意義務の一部として位置づけられる。対処を怠ったリスクは、何らかの形でコストや損失として現実化する。リスクセクションを「規制対応の記録」ではなく「善管注意義務の履行」として書く視点は、投資家との対話における説得力を変える。

この視点を次期開示に反映するなら

視点1|指標の確定を待たない。

TNFDのLEAPアプローチに沿ったデータ収集を始めておく。

視点2|KPIをアウトプットからアウトカムへ組み替える準備をする。

「何をしたか」だけでなく「自然の状態がどう変わったか」を語れるよう、指標の再設計に早めに着手する。

視点3|ガバナンスと社内浸透を欠かさない。

「経営陣の責任・取締役会監督」「全階層への研修とインセンティブ」「参加型のステークホルダー関与」を土台に据える。

6. ブレーンセンターの考えと支援

ネイチャーポジティブへの対応を、開示のためのタスクにするのか、経営戦略として語り直す機会にするのか。ブレーンセンターは、この分岐点に立つ担当者の方々とともに、次の3つのテーマで考え、動くお手伝いをしています。

(1)動向を読み解き、次の一手を考える

COP17でのグローバルレビュー、TNFD開示の広がり、State of Nature Metricsをめぐる議論など、ネイチャーポジティブをめぐる潮流は目まぐるしく動き続けています。「Angle」では、そうした動きを担当者の目線で読み解き、発信し続けていきますので、ぜひ継続的にご覧ください。また、自社の自然関連の取り組みを対話形式で整理するワークショップも随時ご提供しています。まずはお気軽にご相談ください。

(2)「守り」から「攻め」への転換を経営と一緒に考える

TNFD対応が「開示要請への対応」にとどまっている限り、経営層にその戦略的価値は伝わりません。担当者が経営層を動かすには、自然との関係を自社の事業文脈・マテリアリティと結びつけ、投資機会として語り直す視点が必要です。ブレーンセンターは、マテリアリティの整理からKPI・リスクセクションの再設計まで、担当者が経営層と対話しながら進めていけるよう、伴走型でサポートします。

(3)自社らしい「腹落ちする物語」をつくる

指標やデータだけでは、読み手の心理的な壁は越えられません。重要なのは、自然との関係を自社ならではの言葉と物語に翻訳することです。ブレーンセンターは、30年以上にわたる企業コミュニケーション支援の経験を活かし、CEOメッセージや統合報告書・サステナビリティレポートをはじめ、企業の価値創造ストーリーを伝える開示づくりをサポートします。

7. まとめ

熊本サミットは、ネイチャーポジティブが「理念」から「測定可能な目標」へと歩みを進めたことを示した。COP17は、この歩みに国際的な「成績表」という形を与える。そこで問われているのは、ネイチャーポジティブへの対応を、経営そのものの意思決定材料へと転換できるかどうかだ。企業一社でネイチャーポジティブを実現することはできない。だが、ネイチャーポジティブには、常に現場がある。現場に足を運び、地域の課題と向き合い、多様なステークホルダーと知恵を出し合いながら解決策を探るプロセスそのものが、経営に活かせる力になる。また、国際会議の場に身を置き、他社の取り組みや他国の問題意識、グローバルな潮流を肌で感じることも、同じように見過ごせない意味を持つ。CEOメッセージ、KPI、リスクといった開示の持ち場での書き換えは、その一歩に過ぎない。経営陣自身が、そうした現場と国際的な議論の場に、自ら足を運んでほしい。

(執筆日:2026年8月29日)

参考